加子母は南北に細長い地域だ。
その一番北の小郷という所に、今日、私が訪ねた「花のくまさん かしもさん工房」がある。
そろそろ餅の製造、出荷作業で忙しくなる12月の始めだったが、オーナーの熊崎美保子さん(57)と「とまと屋かっちゃん」の担当、御主人の熊崎勝彦さん(62)が笑顔で迎えてくれた。
美保子さんが、初めに手掛けたのはシクラメン栽培。
30年前の27歳の頃。34歳で(有)花のくまさんを立ち上げた。
30年前の27歳の頃。34歳で(有)花のくまさんを立ち上げた。
シクラメン栽培を止めた後も、大福餅、惣菜、年末の餅作りと「花のくまさん かしもさん工房」を展開してきた。
私は、美保子さんが2020年、”岐阜で活躍する女性・ぎふジョ”に取り上げられた記事を読んで、加子母にこんな行動力のある、先の時代を読んで、今を生きる女性がいるんだと感心した。
もっと、深く知りたくて工房を訪ねてみた。
- お忙しい所お時間作っていただき有難うございます。
花のくまさんのお餅、とても美味しいと近所でも評判です。 - 嬉しいです。私は、注文聞いたり、配達したりで居ないことが多いんですが、スタッフが頑張ってくれてます。
お二人の出会い、勝彦さんはそのころは?
- 突然ですが、二人の出会いから聞いていいですか? 勝彦さんと美保子さんは青年団の演劇で知り合われたとか?
- そう、演劇は加子母は盛んでしたよ。昔は3箇所に分団があって、競争してやって、全国大会へ3度ほど行きましたよ。
- 青年祭っていうのがあって、演劇でしょ、意見発表会、意見交換会、青年の主張もやったの。村の人にも来てもらってね。
- 意見交換会?今はそんな事やらないですよね。
- 20歳で加子母に帰ってきた時は、家ではトマトも作ってましたが、桧の苗を主に作ってました。
- 結婚するとお祝いに、桧苗50本とか村から頂きましたが、その苗木ですか?
- そうです、そうです。
- その後、トマト栽培を始めたんですか?
- 50年以上前、中津川市の阿木(あぎ)地区で、雨を防ぐパイプハウスが出来、トマト栽培が容易になり、加子母でも一気に増えました。私の家もトマトを作るようになりました。
- トマトを作り始めた時は、もうご結婚されてたんですか?
- はい。結婚したのは22歳でトマト作ってました。でも、トマトは4ヶ月しか収入にならない事もあって、私は、長女が小学校1年生、次女、三女が保育園に入る3歳の時、シクラメン栽培を始めました。
普通なら、勝彦さんが始めたトマト栽培を助け、その家の歯車の一つになるのが長男の嫁なんでしょうが、私は家でも一緒、仕事でも一緒というのは嫌だったんです。
農家の嫁の高いハードルも
- 私が結婚した当時、加子母のような田舎で、皆と違う事をやろうとすると、理解してもらえるまでに時間がかかりました。全て受け入れてもらえない事もありましたが、自分を押し通すより、自分の考えを受け入れてもらえるよう、伝え方を変えたりしてきました。
女性には様々なタイプがあり、その人にあった生き方をしています。私はたまたま後先考えず、自分の考えを口に出すタイプだったので、行動に移したんでしょうね。 - 勝彦さんには理解してもらえたんですか?
- 私は、私がやってる、という確かなものが欲しかったんです。その時、勝彦さんが、提案してくれました。
「女の人も生きがいを持たなければ。シクラメン栽培を美保子の名前でやってみたら」 - 凄い、パチパチ(拍手)
- それで、阿木に通って、シクラメン栽培を一から教えてもらいました。7年勉強して、34歳の時、私の名前で「花のくまさん」を立ち挙げました。
- 自分の意見をはっきり言えるという事は、若い時の青年団で、男性、女性を越えて意見を出し合うという経験と繋がりませんか?
- 深くは考えてないですが、年代を越え、男性女性を越えいい経験をしたことは確かです。
でも風あたりは強かったですよ。 - 風あたりの強さを物ともせず、やり切り、実績を残すって、大変な事ですね?
- 周りからあんまりいろいろ言われて、対人恐怖症みたいになったんです。そんな時に身近な方が、「10年頑張ってみろ。周りとは違っていても、10年続けたら、それはお前の実績になる」と言ってくれたんです。
- 助けてくれる言葉は大きい。
- いいタイミングでいい言葉を掛けてもらって、ここまで引っ張ってきてもらいました。
- それは美保子さんが本当にやれる人だと思われたんですね。
完璧に揃ったトマト苗
- 平成8年からもう、24~25年になりますが、サントリーフラワーズと契約して、毎年トマト苗16万ポット作って出荷してます。始めたころ、女性の名前で契約していたのは私だけだったんです。
- シクラメンは今は止めてますが、シクラメンでも、トマトの苗でも出来は完璧です。僕には出来ない。普通では真似出来ないですね。
トマトの苗は出荷日が決まっていて、育ち過ぎても、小さくてもいけない。揃ってないと駄目なんです。水やりはむずかしいですね。 - 私は、始めた以上はきちんとやりたい。
- そのパワーはどこから?
- 怒りのパワーは、瞬発力はあるけど持続力がない、楽しいから生まれたパワーは、前を向かせてくれる、両方の気持ちがあるからかなあ。
新しい工房と美保子さんの時間
- 令和元年に少し離れた所にあった工房を閉めて、ここに新しく工房を作りました。それは、勝彦さんの作るトマトの中で、破棄されるトマトをなんとか減らしたいと思ったからです。トマトジュースやトマトソースに加工して販売したいと思ったんです。
- 結構商品はあるんですよ。西方イモのイモ餅、煮豆、大福餅、赤飯や弁当類、アップルパイだったり。
- 12月になると、ここの作業場は餅一本になるの。そのため作業場の空いている時間が限られるんで、その空いている時間が私の時間です。新しい商品を試作します。
- 何時頃が美保子さんの時間になるんですか?
- 夕方の6時か7時に寝て、11時頃起きてここに来ます。それからが私の時間です。
- わ~、新作は夜生まれるんですね。
美保子さん、勝彦さんが目指す
「花のくまさん かしもさん工房」「トマト屋かっちゃん」
- 実は私、指導農業士という役をやってまして、1月20日に阿木高校へ出前講座に行きます。また、恵那農業高校、県農業大学校にも行きます。
おじさんは、こんな農業やってるよって話に行くんです。子供って悩んで育っていきます。進路のこととかね。子供に生きる力を付けてほしいんです。
加子母小学校の学校農園で、トマト作りを始めました。手伝いに行った時、学校の先生が、「この子、普段は笑顔がないけど、トマトの授業のときは、まったく生き生きと作業やってる」と話してくれました。農業小学校も10年位やりましたよ。農業の力は大きいと思いましたね。
- 育てて収穫するって、楽しいですよね。
- そろそろ、イチゴ大福を作り始めます。店頭に出ると思いますが、このイチゴは恵那の伊藤さんという方が作っている凄く美味しいイチゴです。私達は、個人が頑張って作った良いものを生かしたい。自分とこだけじゃなく、お互いに良くなるように。
- 常に10年後、20年後を見据えて、今から始めてなければいけないこと、そして、自分の人生も60歳70歳に向けて何をしといた方がいいか、皆が住みやすい加子母になるために何を始めていかなくてはいけないか、いつも考えてます。
私が餅を作るようになったのも、田んぼを作る人が居なくなって、耕作放棄地がどんどん増えてるでしょ。でも安定した供給先があれば、田んぼを作る人が減るのを少しはくい止めるられるかも。そんな想いがあります。
- 私も、もっともっと美味しいトマトを作りたい。中津川市川上(かわうえ)にある道の駅「五木の館」の友達が、「加子母はええわ、いろんな事やってまとまってる」って言われる。
でも、私は言うんですよ、「川上、加子母って分けんでもいいやないか、お互いに良い所を見て、助け合っていけばいい」。 - 本当にそうですね。
良い話を沢山聞かせてもらいました。少し先を見て、今、足を地に付けて生きる、その大切さを気付かさせてもらいました。春先に出るイチゴ大福を食べるのが楽しみです。
有難うございました。
有難うございました。